フィリピン・セブ島をゆく①

日本でも貧困が課題というか、話題にあがるようになってきております。この間、NHKの番組に出演した女子高生がヤラセだったとか、もう少し深掘りしてみたら、本当はヤラセじゃなかったとか、ぼちぼちとメディアを賑わせているのですが、なぜ、こんな対立が起きてしまうかというと、「貧困」の捉え方が複雑になりすぎているからではないでしょうか。絶対的貧困、とか相対的貧困、とか言われても分からんがな、というお話。

 

そんな中、福岡の友人、田中裕一郎くんに「林田くん、フィリピンには絶対的に貧困なストリートチルドレンがたくさんいるから、視察に行こうよ」と唆されて、ほんならば、と重くない腰をよっこら上げたわけです。

 

そして、最初に連れて行かれたのが、セブ島内にあるゴミ山。

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ガイドの方に、「フィリピンには、物を綺麗に片付けるという習慣がないんだよ」と説明されたんですけれども、そういう問題ではないだろうと。ちなみに、このゴミ山はセブ島だけでなく、マニラも含めて、フィリピン全土で同じ状況なのだといいます。そして、ストリートチルドレンの視察に来たのに、なぜゴミ山を見せられて環境問題に思いを馳せているのか、よく分かりません。

 

「こんなもん、焼却炉つくって、早々に燃やしてしまえばいいじゃない。ただし、ダイオキシンが出ないように、高温度焼却炉つくらないとね」と単純に考えてお伝えすると、話はもっと複雑なものでした。

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もはやゴミ山の中といってもいいかもしれませんが、このゴミ山の側で暮らし、ゴミ山を生活の糧としている人々が存在しているわけです。彼らは、この中からプラスチックや金属、その他、使えるものなどを分別し、それを業者に販売して生計を立てています。

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ゴミ山の側に、JICAが建てた工場がありました。いまはJICAは撤退してしまって、地元自治体で運営されていますが、あまり上手く稼働していない、と言っていました。ここは、分別されたゴミのうち、プラスチックを買い取ってくれるプラスチック工場で、プラスチックを持っていくと1kgあたり30ペソ(およそ70円)で買い取ってくれるそうです。買い取ったプラスチックは、破砕して燃料にしているそうです。

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そして、このゴミ山の中に住宅地があります。みんなこのゴミ山の中にある「資源」を掘り出して生活している人ばかりです。3日に一度、ゴミ資源を売り、月間の収入は日本円に換算すると、およそ5,000円から6,000円とのことです。

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平日の昼間ですが、子供たちがたくさんいます。ということは、学校に行っていないということです。フィリピンも小学校は無料とのことですが、学校で使う教科書や鉛筆、ノートが買えなくて通わせられていないようです。絶対的貧困がここにあります。

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この集落で使用されている井戸です。

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ゴミ山の中にあるため、異物が浸透して、もはや井戸の中身はヘドロ状態です。さすがに、住民も、これを飲み水にはしていませんが、洗濯や体を洗うための生活用水として利用しているとのこと。子供たちには深刻な皮膚病に悩まされている子もいるということです。

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井戸のすぐ側にある家庭のご夫婦にヒアリングしてみました。この家は、すべてゴミ山の中にある材料で、ご主人が建てたものです。家賃はタダ。2009年にゴミ山に来て、7年間、この地に住んでいます。以前、ゴミ山での仕事を止めて、鉄工所に働きにいったこともあるそうですが、鉄工所だと2週間に一回しか賃金が支払われず、その日暮らしの家庭を支えるのに苦しいので、ゴミ山に戻ってきたのだそうです。

「ゴミ山で生きていくと、3日に一回、収入が入ってくるし、家賃もないし、その方がリッチなんだ」

 

繰り返しになりますが、日本で問題になっているのが相対的貧困とするのであれば、ここには絶対的貧困があります。ところが、上で「貧困に喘いでいる」という表現を使いましたが、ちょっと間違っています。厳密に言うと、彼らは貧困には喘いでいません。「大変だろうね?」と声をかけると、

「なんで?家族もいるし、キリスト教会の配給もあるし、悠々自適に暮らしているよ」

と、ハッピーだ、とまでは言えないニュアンスでしたが、ぼくらが考えているものよりずっと明るい人生を送っています。もちろん、ゴミ山の中に暮らす、というライフスタイルは、健康上も精神衛生上も良くないし、改善しないといけない課題であることは間違いありません。ですが、ゴミ山をなくしてしまえば、見えない「失業者」が出るというのも明らかです。

ストリートチルドレンの視察が、なぜゴミ山から始まったのか、最初は理解できませんでしたが、その生活の構造を知って、本当に複雑な思いが去来しています。以上、第一報でした。

 

こちらからは以上です。

(了)

フィリピン・セブ島をゆく①」への4件のフィードバック

  • 相対的貧困・・・
    考えさせられますね。

    タイムリーにも昨日賛育会病院の地域連携室の課長から親の虐待、ネグレクトの話を聞いたところです。
    体中に痣がある男の子
    身体に「うんこ」とマジックペンで書かれるいる子ども(親が書いたそうです)
    夏休みは給食がないので食べるものが無く飢えに苦しんでいる子ども等
    正直この世の中にそんなことあるのか?と耳を疑う話ばかりでした。

    心の貧しさなのでしょうか?
    いまの日本にはそれが生まれているような気がします。

    • そう。夏休みに給食が食べれなくて飢えに苦しんでいる子供が、結構、いるのです。それで、子供食堂的なものをTAOでやろうとも考えていたのですが、割とメジャーになってポンポンっとできたので、放置企画になっておりました。

      でも、なんか、ほんとに届いて欲しい人のところには届かないんですよね。こういうサービスって。いろいろ難しいです。セブにきて、なお考えさせられています。

  • 近い将来、日本も同じようなことが起こるかもしれないと思いつつ読ませて頂きました。
    基準とは何か。平均とは何か。当たり前とは何か。
    昭和時代と比較すると、これらのラインが少しずつずつ崩れているのが日本だと思います。
    フィリピンと違うのは、貧困になっているのに受け入れない心ではないかと想像しました。
    稼ぎがないのに、スマホを持つ。そして、金がなくて貧乏だと不満を言っているイメージの
    人が多くなっているのが日本の1つの典型的な例ではないかと林田レターを熟読しながら
    感じました。

    • 貧困者だって、スマホもっていいじゃないか?という意見もよく分かるんですけどね。印象的なのは、フィリピンには、「貧困でつらい」って下向いてる貧困者はいない(少ない)ってことですよね。サンプル数が少ないので、カッコで注意書きを付け足しております。

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