行年四十にして、三十九年の非行を知る。

改めまして、昨夜は、不肖不惑の初老祝賀会にご参加いただきまして、ありがとうございました。四十歳というセツモクを超え、来年の2月でTAOも13周年となるわけですけれども、ふと、「空間としてTAOも変わったなぁ」と感じ入ったわけです。

では、いったい、何が変わってしまったのか、夢の中から深い思索を繰り返していたわけですけれども、たどり着いた答えを一言でいうと、「不本意にも健康的」な精神・思想に溢れる場となってしまっているのであります。それは、図らずも、ぼくが意図的に、そう誘導してしまったのであり、いまやTAOは現代日本を象徴する思想的・肉体的健康主義的思想に毒されており、

「林田さん、タバコはほどほどに、、、」

などという、合法な極小的悪徳も認められないクソ詰まらない空間に堕してしまったのです。あろうことか、そこでは、日夜、地方創生や、哲学や、日本経済に関しての諸問題や、世界秩序の崩壊についてなどが話し合われているのだそうです。

思い起こせば13年前、27歳でお店を始めたとき、そこは、知的教養をベースとした、音楽と食事とお酒とエロスを楽しむ空間でした。そこは、日夜、下ネタを中心とした、地方創生や、哲学や、日本経済に関しての諸問題や、世界秩序の崩壊についてが話し合われており、男も女も、老いも若きも、TAOという空間に欲情していたのです。よく、

「林田は下ネタを話しても良いのに、なぜ、オレはダメなんだ!」

とクレームを入れてくるオッサンがいたのですが、あんたの下ネタは教養をベースとしていないから、エゲツないんだよ!と突っ込んでいたものです。

我々は、豊富な知識を蔵し、高い教養を身に纏って、エロチシズムを楽しんでいたのです。そして、右と左と思想的分布は見られたものの、概して反社会的であり、反社会的であるからこそ、現代の偽善に満ちた社会を正そうという点において、ヘーゲル左派的アウフヘーベンを会話の中に求める過激派集団だったのでした。小難しいと感じられるかもしれませんが、本当に、このような会話が、下ネタとともに、当時のカウンターでは提供されていたのです。

現在、TAOでは九州大学を中心に、9名の学生スタッフがいるんですけれども、昨夜、福岡大学の学生も入り混じって話しているうちに気づいたんですね。それは確かに、知識という点においては、うちのスタッフの方が上だと思うんです。フィールドワークだけでなく、しっかりと勉強しています。

でも、昨夜、福岡大学の学生に

「林田さん、おもしろーい」

と言われたときに、その裏にあるのは、

「この人、ヘンなオジサンなんです」

というニュアンスなんですね。もうね。ぼくは、え?いまチミ、なんつったの?ヘンなオジサン?そうです、わたすがヘンなオジサンです、という態で返して行くんですが、すごくしっくりくるわけですよ。志村けん、天才だな、と思います。

省みると、昨夜の学生たちが、「林田さん、おもしろい」と指摘しているのが、ぼくの不道徳な部分なのに対し、真面目で優秀な学生たちが「林田さん、すごい」と言ってくれるのは、ぼくの地方創生アドバイザーの部分であり、知識や教養に対してなんですね。

どっちが良くて、どっちが悪い、ということではなく、すでに述べているとおり、両方大切なんですね。特に、TAOのような場にあっては。高度な知識と教養でソフィスティケートされた不道徳こそが、美学であり、文化人的態度だと思うのです。

恋愛観なき哲学は、不健全だと思うよ、トミナガくん。

三島由紀夫が、その著書『不道徳教育講座』で、次のように示唆しています。

「この本を多少まじめに読んでくれる青年のために、附加へなければならぬことは、十年前の日本が今よりもずつと「偽善」の横行してゐた社会だつたといふことである。その鼻持ちならない平和主義的偽善を打破するためには、かういふ軽薄な逆説、多少品のわるい揶揄の精神が必要だつたのである。(中略)どんな時代にも無害な悪意は人を微笑ませるものである。」(『不道徳教育講座』あとがきより)

三島の言う「現代の平和主義的偽善に満ちた日本」では、煙草も吸わず、酒も控えて長生きしろ、と言われます。逆説的揶揄の精神から考えれば、生涯賃金の3分の1を住宅投資に奪われ、もう3分の1を子供の養育費に奪われるこの社会構造の中で、タバコも酒も控えて、長生きし、死ぬまで働いて税金を納める人生に、何の価値があるのか?と思うのです。

人生とは何なのか、我々が必死で支えようとしている国家や、自治体とは何なのか。実は、不道徳の先にこそ、道徳的な視座が待っているのであります。

若者よ、不道徳であれ!
ただし、教養を身につけてね。

ということで、林田も、TAOも、ますます尖って参りたいと思います。行年四十にして、三十九年の非行を知る。最後に、新約聖書より、マタイの福音書の一節をお送りして終わりたいと思います。

「狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし」(『新約聖書』マタイ福音書第7章第13節)

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