東京マラソン、完走の感想を。

チェーンスモーカー、寝るのは死んでるのと同じ、を標榜し、不健康の代名詞でもある林田が、40歳にして、人生、初フルマラソンにチャレンジ。一夜明け、改めまして完走の感想を。

まず、きっかけは一昨年、魔術的に人を載せる天才、 工藤 啓が、福岡のTAOを訪れたときから、全ては始まったのでした。しこたま酒を飲まされた午前3時。

工藤さんが運営するNPO法人 育て上げネットが、東京マラソンのチャリティ支援団体になっておりまして、お題目は、

「若者の自立支援のために、10万円寄付して欲しい」

と、ここまでの話だったら寄付して終わりなんですが、ふんふん、と話を聞いているうちに、藤井聡太6段の如く、盤面に置かれる一手一手に、確実に追い込まれていくのでした。極め付けは、

「林田さんには、タバコを辞めずにフルマラソンを完走し、スモーカーの希望となって欲しい」

というもので、もはや、深く酒も入ってわけのわからなくなっていたぼくは、

「よっしゃ、いっちょ、やったるでー」

と、もはや国内問題のみならず、国際政治の観点からも、ぐらぐらの帝都東京から遠く離れた博多の場末のバーで、東京マラソンへの決意を叫んでいたのでした。きっと、江戸時代の少女たちは、こうやって吉原に売り飛ばされていったのでしょう。

決意を固めたぼくが、一番に手をつけたのは、愛弟子であり、医師でもある 進谷 憲亮くんに電話をかけることでした。

「あのさあ。フルマラソン走るから、伴走してくんない?」

この時点では、ぼくがフルマラソンを走るなんて、みじんも信じていなかった進谷くんは、「えー。東京マラソン走れるなら、走りたいですー」と、即座に快諾するのでした。10万円の寄付が伴うことも知らず。

林田、進谷が走るとなると、福岡を代表するジャズユニット、XRT26トリオの一角を為す 福吉 涼平くんは、もはや、有無もいわさず、理由も告げられることなく、参加が確定しているのでした。

こうして、昨年の5月くらいから、練習を開始しました。何を隠そう、ぼくは長距離を走ったことがなかったのであります。学生時分に体育の授業で3km走ったのが最長だったのではなかろうか。

そんな経緯で出走した東京マラソンですが、走って、一番実感したのは、「チアの効果」でした。本当に、沿道の応援が42.195km絶えないんです。いままで、人生を生きてきて「応援」の効果なんて、信じたことがなかったんですが、本番で初めて、最初の5kmを28分で走れたんですね。これまで30分を切ることはなかったのに。

公式の給水所や、給食所もあるんですが、沿道の皆さんが個人的に飴玉や、チョコレートを差し入れてくれます。元気なうちは、「あれはオレのために用意された差し入れではない」と、まったく見向きもせずに走ってたんですが、もう25km過ぎたあたりから、なんか食べていないと走れなくなって、沿道沿いを走りながら、ひたすらお菓子を食べるわけです。

ただ、ひたすらに「ありがとうございます」と、最後は言葉も出ずに、心の中で、手を合わせながら、みんなが観音様に見えてくるのです。

そんな中、沿道で、ひときわ大きなカゴを見つけて、朦朧としていたぼくは、

「魚肉ソーセージだ!」

と、一本、ひしっと握りしめたわけです。もはや、東京には売られていない、ベビーハムをこよなく愛するぼくは、ここであったが100年目。ああ、この苦しい時間を、ソーセージ齧りながら走れるなんて、と狂喜乱舞したわけです。

ところが、走りながら袋をあけようと、まじまじと見ると、それは、なんと「うまい棒」なのでした。

うまい棒!嗚呼、おれがさっきまで手にしていた魚肉ソーセージが、うまい棒に変わっている。よりによって、なんで、うまい棒なんだ!水分取られるじゃないか。これは、喜劇か、悲劇か。

ひとしきり悩んだぼくは、隣を走っていた福吉くんに、そっと、うまい棒を手渡すのでした。福吉くんは、なにやらぎゃあぎゃあと騒いでいましたが、最後は食べてくれました。

はっきり言ってフルマラソンを舐めていました。10kmのランを繰り返していましたが、一月に寒くなってから「42.195kmって、10kmを4回でしょ?」と、練習もサボったまま臨んだんですね。しかし、25kmを過ぎたあたりから、坂道を登ることができなくなり、坂道は歩く、平坦な道は走るを繰り返すようになりました。

28km地点まで来た時に、太ももが攣りそうになる感覚がありました。ふと、走る前に工藤さんにアドバイスされた言葉を思い出しました。

「女性は、歩くと決めたら歩く。男性は、無理して走るから完走できないことが多い」

心肺機能は、まったく問題なく、走ることに足が耐えられなかったぼくは、この地点で、歩いていくことを決断しました。でもkm7分くらいのペースで早歩きすれば、間に合うはず。

まだ余裕のあった2人に、

「おれ、歩いていくから、先に行ってくれ」

と告げると、2人とも、

「今回は、林田さんの伴走しにきたんで、一緒にゴールしましょう」

と付き合ってくれました。進谷くんは、前に立ってペースメイク、福吉くんは隣で伴走してくれたんですね。嗚呼、10万円寄付させられて、無理やり付き合わされているのに、なんてステキな弟子たち。もうね、感動しましたよ。明日くらいには、忘れるけど。でも、あとからのことを考えると、2人が付き合ってくれていなかったら、完走できなかった気がします。

35km地点を超えたあたりから、横断歩道の白線に段差を感じるようになりました。この頃から、沿道の応援も、絶叫に変わっていきます。三人とも、チャリティランナー用のピンクのシャツを着ていたのですが、

「おい!そこのピンクー!あと7kmだ、がんばれ!」

と。なんだか、見えない力に後押しされて、歩を進めていきます。しかし、この応援すらも、苦しくなってきます。

「あと5km」「あと3km」

と、声をかけられるたびに、嗚呼、あと5kmもあるのか、あと3kmもあるのか、と絶望感が増していくんですね。39km地点にPA機材を持ち込んで、ロッキーのテーマを流している方がいたのですが、もうね、ズーンと沈んでしまうんです。

自己ベストを目指しているような意識高い人は、きっと励みになると思うんですが、もはや、12R失神KO間近のぼくには、

「もう、戦えねーよ」

としか思えなくなる。鬱の人に、がんばれって言っちゃいけない、ってこういうことだったのか。そんな中、40km地点で、

「あなたたちは、もう完走ペースです。無理しなくていいから、しっかり歩きましょう」

と叫んでる人がいて、フッと気が楽になったんですね。元気出せー!とか、笑顔、笑顔!とかより、がぜん勇気が出る。チアの仕方もTPOなんだな、と。元気なときも、失意のときも、同じ声かけではダメで、そのとき、そのときのやり方がある。

そして、本当に最後の1kmに30分くらいかけながら、なんとかフィニッシュを迎えたわけです。いや、本当に、進谷、福吉、両名には感謝しかありません。ありがとう。明日くらいには、忘れるけど。

また、3時間40分という化け物タイムで、午前中にはゴールした工藤さん。終わってから飲もう、という約束をしていたため、長らくお待たせして申し訳ありませんでした。本当に、素晴らしい経験でした。感動と感謝の中、ステージの中央に、そっと、マイクを置きたいと思います。

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