私、一生努力しないので

こんばんは。開発部長の冨樫です。

 

今日は「努力」について考えてみました。友人が「努力する意味」についての話をしていて、私も考えてみたくなったのです。

 

私には、決めていることがあります。

 

それは、「一生『努力』しない」ということです。

 

私は一度大学受験に失敗し、浪人を経験しました。すさまじい努力が必要とされる世界です。少なくとも、予備校はそういう世界でした。先生やチューターさんは、生徒が努力するよう褒めたり叱ったりする。努力の結果は模試によって逐一測られる。大学合格という目的がある以上、努力は自分本位のもの。努力は辛いけれど、逃げたらもっと辛い。自分が辛い。

 

そんな世界で、私もそれはそれは大変な努力を……していません。

 

いつまで経っても問題集が終わらない。予習が終わらないまま授業が始まる。復習が終わらないまま次の週になる。

 

あれ、自分ぜんぜん努力してない。っていうか、できない…。

 

自習室を抜け出し予備校の周りをぐるぐると歩きながら、泣き叫ぶように考えました。

 

「どうして努力してないの?どうしてみんなみたいに努力できないの?自分の目標のための努力もろくにできない、こんな人間、お先真っ暗だ。」

 

自分が悪いのはわかってる。自分が変わればいいこともわかってる。でもできない。ペンは動かない。字は頭に入ってこない。あの人はもうテキスト3周したって。どうして、私は、できないの?

 

あの地獄の日々は何だったのか。大学に入学して一年以上経ち、いろんな記憶が薄れてきています。

 

少なくとも言えるのは、浪人時代の私は「努力」にとらわれすぎていたんだろうということです。

 

実体のない「努力」というものを、自分がしなきゃいけないことだと、自分で選んだものだと思いこんでいました。

苦しむこと、我慢すること、それこそが「努力」だと思って、それができない自分は人間のクズで、今後も何もなし得ることはできないのだと毎日毎日自分を叱りつけていました。

 

努力とは、目標へのプロセスのはずなのに、努力それ自体こそが自分の前に大きくそびえ立つ課題かのように考えていたのです。 

 

「一生努力しない」というのは、そんな私なりのスローガンなのです。まやかしのプレッシャーを自分に課すな。求める目標のために、することが淡々と続いている。その道中に「努力」などという壁はない。

 

だから、「努力」はしないけど、「がんばる」はします。まやかしの苦行を「努力」、目標への着実な歩みを「がんばる」と、あえて呼び分けることで、自分が再びまやかしの魔物になり代わり自分をグシャグシャにいじめるなんてことがないようにしているのです。

 

これは私の個人的な定義なので、他人に当てはめるつもりはありません。私のことを、「受験に失敗した自分を正当化して、逃げてるだけのかっこ悪いやつ」と思う人もいるでしょう。

しかし、かっこ悪くても、私も幸せになりたいんです。「努力」にとらわれていたころの私は、「努力」ができない自分は何にも叶えられないし、ろくな人生送れないんだと思っていました。だけど、「がんばる」なら私にも少しはできるから、それで幸せを目指すことにしたのです。「努力」という(私には)できないことに食らいつくのではなく、できることやわかることを少しずつ広げて「がんばり」たいのです。

 

もう少し言いたいことはあるのですが、長くなってしまったので続きは次回にしたいと思います。次回は、冒頭の友人の問い「努力する意味とは何か」について考えたいと思います。

 

いやあ、長すぎる!最後まで読んでいただきありがとうございました!

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