私、一生努力しないので2

こんばんは。開発部長の冨樫です。

 

今回は、前回のブログ「私、一生努力しないので」のつづきです!

 

すぐに更新するつもりでしたが、いろいろと考えているうちにかなり期間が開いてしまいました…

 

今回のテーマは、努力する意味について、です。

 

前回お話しした通り、私にとって「努力」とは

 

「まやかしの苦行」なのですが(詳しくは是非前回の記事をお読みください…!)

 

今回は、一般的な「目標のためにがんばる」という意味で、「努力」を使いますね。

 

努力する意味。なんでしょう。

 

今回努力について考えるきっかけになった友人(こちらも詳しくは前回記事を…!)は、「結果がでない努力は意味がないのでしょうか」と問います。

 

努力を「目標のためにがんばる」ことだと考えれば、たしかに、目標を達成するという結果を出せなければ、努力は失敗に終わったということになります。

 

では、このときの努力は、無意味なのでしょうか。

 

そんなことないよ!努力したことに意味がある。努力した経験は、一生の宝物だよ✨

 

なんて、言いませんよ。そんなキラキラして生きていられません。疲れます。

 

でもやっぱり、私も、結果がでない努力が無意味になるとは思えません。

 

確かに、目標達成という目盛りで見れば、達成できなければその過程は無に等しいです。

 

どんなに努力しても、優勝しなければ、賞金はもらえない。周りの人がどんなに誉めてくれようが、金メダリストとは名乗れない。

 

でもそれは、あくまでも「目標達成」という目盛りにおいてです。

 

その目盛りは具体的には何ですか?何かの大会、コンテスト、売り上げ目標、得票数、フォロワー数…

 

おそらく、それはすべて、外的なものです。あなたを客観的に説明する、「肩書き」を増やすものです。

 

ある肩書きを得るためには10の努力が必要だとして、あなたが8の努力しかできなかったとき、外側からのあなたの評価は0かもしれません。でも、だからと言って、内側からの、あなた自身が0になるわけではありません。あなたが達成した8の努力はあなたの一部として残ります。

 

あなたは、肩書きを得られないくらいで、0になるような存在ではありません。

 

…もう一度言いますが、私は決して「努力は一生の宝☆☆」と言いたいのではありません。

 

逃れられないじゃん、と思うのです。何かを目指して一生懸命努力して、でも達成できなかったとき、その目標のために費やした時間や気持ちが無になるはずがありません。あなたが費やした時間はどんなに悔しくても、どんなにむなしくても、その時間分のあなたの歴史になります。

 

「一生懸命努力」しなくても同じです。いまいち努力しきれず自己嫌悪に陥る日々も、何にもする気になれず怠惰に過ごす日々も、濃さに差はあれど等しくあなたの歴史になり、あなたはその歴史の先にある未来にしか生きることができません。

 

だから、結果が出ないことを恐れて努力を避ける、ということはしなくてよいと思います。自分が自分の歴史として何に時間を費やしたいかと考えて、努力する価値があると思うなら飛び込めばいいし、結果が出るかわからない事に時間を使いたくないなあと思うならそれは自分にとってその程度の価値の事柄なのだから、別の生活をすればいいと思います。

 

いまいちエンジンがかからない、周りの人に比べて何にもできてない、と思うときも、ぼーっとしてる時間が「無」になることはないので、じっと「その時」を待てばよいのではないかと思います。

 

…うーーん、こんなところなんですが、自分でも筋が通っている自信がありません…

 

でもひとりで考えるにはこれが精一杯です!何か突っ込んでいただければさらに頑張って考えますので、ぜひtaoにいらしていろいろ突っ込んでください!!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です